ぼくたちの失敗

ある意味、他人のミスが
自分たちの仕事の契機
なっている面があるだけに、
弁護士にとって自分の仕事上の失敗は
特別な意味を持っています。

同業者での集まりの際にも、
新聞やテレビで報道される弁護士の
過誤事例が話題に上ることは
結構多かったりするのですね。

今回はそういったお話。
(なお、このエントリはある意味フィクションであり、
実在する人物、団体等とはあんまり関係ありません。)





かなり以前、何かの飲み会の席で、
業務上のヒヤリハットの話になり、
そこで、


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という話の流れになったのですね。

人は成功よりもむしろ失敗からの方が
学ぶことは多いからね。

で、みんな
重い口を開いて話し出したんだけど…


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と思った私でした。

細かい点は忘れたけど、
だいたいこのレベルの話でした。




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とも思った私でした。

みんなそれなりに責任ある地位で
リスクを抱えて危ない橋を渡ってるんやろ?
そんなことない?
(ところで第7準備書面を3度続けて出したら、
777になるね。)




でもね…、


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となるよね。やっぱりね。



本当にヤバい失敗って、
みんな人には言えないものだよね、
みたいな雰囲気になって、
飲み会はめでたくお開きとなりました。



興味本位でそういう過去の古傷をえぐるのって、
まこつ先生、あんまり感心しないな。
言い出したのはまこつ先生なんだけどね。



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やっぱりさ、人間である以上、
ミスの芽を完全に摘むことは難しいけど、
いかに致命的なミスをしないか、
また、ミスをしちゃったときに
どうやってリカバリーするかの方が
弁護士として重要な気がするんだよね!


まぁ、これって
単なる問題のすり替えなんだけどね。



そこで自分を振り返って
考えてみたところ、
あったよ一つ。イタいミスが。



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万年思春期の俺特有の話だけど、
笑って話せるのはせいぜいこんなとこ。

本当にミスのない世界になれば良いなって
毎日思いながら眠りについてるよ。
そうなると、仕事減っちゃうけどね。






























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管財人ドリーム

一時期に比べて
破産の申立て件数は減少傾向にありますが、
それでも多くの弁護士にとって、
破産申立て事件や、
破産管財人としての事件は
業務の重要な一分野となっています。


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ところで、
どこの庁でも年に一度ないし数度の割合で、
裁判所と弁護士会とで管財事件処理に関する
協議会が開かれております。

私が顔を出すことがとても多いK地裁でも、
年一回、地裁本庁に
本庁・各支部の破産係の裁判官や書記官、
弁護士が集まって
「破産管財人協議会」が開かれています。

そこでは、
裁判所・弁護士間での「現在の運用」の確認や、
事務処理上、判断に
頭を悩ませる事例の紹介、意見交換が行われるのですが、
場合により最新判例や課税庁の動向を
反映した問題も取り扱われます。

このように、協議会で扱われるテーマはかなり実践的なものですが、
管財事件処理に当たる弁護士としては
どれも非常に関心の高い内容です。


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私も少しばかり管財事件を
処理しているものですから
毎年、この協議会には出席させてもらっていたのですが、
今年は他の予定との調整がうまくいかず
期限内に参加希望が出せなかったのですね。


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む、無念…。
まあ、弁護士会から出席できる
協議員の人数は決まっているので、
参加の意向出していても出られると
決まったわけではないのですが。


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ともあれ
私がこの協議会出席を重視するのは
それなりのワケがあります。




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というのがまずひとつ。

それから、もうひとつ重要な理由があります。

破産事件というものは、
相続財産や不在者財産の管理事件に比べて、
ルールや手続、管理人の権限が
法律で明確かつ事細かに定められており、
そういう意味でのやり易さはあるんです。

ただ、相手方との間で主張反論を繰り返して
真実に迫っていく訴訟事件と違って、
管財事件では、管財人が自分で考え、調べて判断し、
自分で処理方針を決めていかなければならない場面がかなり多く、
その処理の当否は多くの場合、
処理の際ではなく事後的に判断されるという側面があります。

なお、破産裁判所も、必要に応じて
管財人と情報の共有や大筋での処理方針の摺り合わせは行うのですが、
裁判所は管財人を監督する立場(法75条1項)にあるため、
例えば、個別の換価や
具体的な交渉の手法・方針といった細部についてまで
管財人に対して指示を行うわけではありません。
(それをし出すと管財人に弁護士を選任する意味がないしね。)

なので、管財人としては、
裁判所との間で共有する大まかな処理方針に沿って、
自分で考えて処理を進めていく必要があります。


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そのため、多くの管財人が、
自分の判断は間違っていないか、
善良なる管理者の注意義務に違反していないか、
絶えず自問自答しながら処理に当たっているんだと思います。
(それでも、弁賠の保険金支払事例で最も多いのが
管財人業務の過誤案件だと聞いたことがあります。)

管財人の研修や
今各地の庁で取り入れられつつある
若手管財人のOJTの制度なんかも
管財事務の質を上げる上で重要なんだと思います。

実際の処理実例を集めた管財本
よく売れるのもそのためなんじゃないかな。
↑ココ、少し頭の隅に置いといて下さい。


そして、管財人協議会では
管財事件処理に当たっている裁判官、書記官や
多数の弁護士の報告、問題提起などから、
それまでと違った視点や見落としていた問題意識
気付かされることがあります。

特に問題意識というものは
何かのきっかけなしに自発的に持つことが難しいものなので、
そういう情報は非常に有用かつ貴重だと思っています。

ところが、こういうのは協議結果を整理してまとめた資料からは
なかなか読み取りにくかったりするんだよね。
(感覚的に、実際の尋問と要旨調書の記載くらいの差がある。)


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前フリが長くなりすぎましたが、
それはいつものことです。


そういうようなわけで、(あくまでも私個人としては)
管財人協議会の場に身を置くことの意味は非常に大きいと思っています。
極論すれば、ひな壇みたいなのに座って話聞いてるだけでも
意識が議論の方にちゃんと向いていれば
それなりに有用なんじゃないかな。
まぁ、ただ聞いてるだけだと
協議会全体の議論には全く役に立たないんだけどね。



というようなことを私が考えるようになったのも
本当にここ数年のことなんですが、
最近は、周りの詳しい先生に声を掛けてもらって
倒産処理関係の勉強会や意見交換会に
顔を出させてもらったりすることが多くなりました。

自分の管財力を1と仮定すると
そういう会合に参加されている先生方はみんな、最低でも
管財力53万クラスの方達ばかりですが、
それだけに非常に勉強になります。

ところで管財力っていうのもよくわからない指標です。
誰が言い出したんでしょうね。


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そういえば、私今、
縁あって、ある管財事件関連の書籍の
執筆と編集の作業に加わらせて頂いているんですね。

これは
実際の処理実例を集めた管財本
で、
特に若手から中堅の先生方にとって
強力なツールになるんじゃないかと思います。


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自分の管財力を1と仮定すると
この本の編集に携わられている他の先生方はみんな、最低でも
管財力53万クラスの方達ばかりですが、
それだけに非常に勉強になります。





























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要するに、
ペットボトルのお茶を丸々一本出してもらえたときの
嬉しさやお得感はなにごとにも代えがたいってことです。


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あれから20年

先日、「 1.17~3.11 来るべき災害に備える連携力」
出席して参りました。

これは阪神淡路大震災からちょうど20年となることから、
東日本大震災で復興と被災者支援に尽力された
各士業の専門家を招いて開かれた
震災記念事業のシンポジウムです。
私は兵庫県弁護士会で行われた
午前の分科会に参加いたしました。


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この分科会では東日本大震災の被災者の方や
建築士、司法書士、税理士、弁護士など各種士業の方々が出席し、
復興と被災者支援という場面での
専門家の役割や活動実例が
リレートークのかたちで報告されました。

個人的には、出席された弁護士の先生の
「弁護士の役割で重要なのは
被災者に寄り添うということに尽きる。
これは口で言うほど簡単ではないが。」
という言葉がとても印象的でした。


もう20年。


つい、自分が阪神淡路大震災に
遭ったときのこと
を思い出しました。

当時、私は高校3年生で、
平成7年1月17日はセンター試験の2日後でした。
夜中、自宅2階の南西の部屋で寝ていたところ、
突然激しい揺れで目を覚ましたのです。

家が車道沿いだったもので、
最初は、自宅の一階にダンプカーでも
突っ込んできたんじゃないかと思いました。

ところがなかなか揺れが収まらず、
前の本棚から自分に向かって
たくさんの本が落ちてきました。


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崩れ落ちてきた本の山から這い出したところ、
隣の部屋から助けを呼ぶ姉の声が。
その辺りでようやく
どうやら地震らしいと気付きました。

姉の様子を見に行こうと部屋を出たところ、
壁際の本棚から崩れてきた大量の本で
廊下が埋め尽くされていました。

かたす時間もないので
仕方なく本の上を這いつくばりながら
姉の部屋になんとかたどり着き、
ドアを開けるとそこにはなんと
大量の本の下敷きになった
姉の姿があったのです。

どうにかこうにか姉を助け出し、
一階に降りてきたときにはもう6時半には
なっていたでしょうか。
そのときには家族みなが起き出してきたので、
家の中を確認したところ、
家中の本という本が落ちてきたことと
戸棚が倒れて玄関のガラスが割れたこと以外には
大きな損傷や被害はなさそうでした。
兄は大学生で既に家を出ていたため難を逃れましたが、
家にいた家族も幸い全員無事でした。

そして家族全員で
今後どうしたらいいかを話し合いました。

とりあえず、本は少し減らそうという話になりました。


そのとき、
浪人生だった姉が奇妙なことを言いだしました。


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思えば、小さいときから
ときどきおかしなことを言う姉でした。

でも電車が動いてるかわかんないからということで、
テレビをつけてみたところ…


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その後、何度も何度も
テレビで繰り返されることになるあの光景が
リアルタイムで映し出されていました。

それまでは、正直、
自宅のある区が被害の中心だと思い込んでいたので、
神戸市域全体にわたって甚大な被害が生じていると知り
恐ろしさで身の震えが止まりませんでした。
言葉を失うというのはああいう状態を言うのでしょうか。


県職員だった父親は
職場に駆けつけないといけないということで
私の自転車に乗って出かけていき、
そのまま帰らぬ人となりました(その日から1週間ほど)。

戻ってきたときには、
公園で拾ったという3匹の捨て猫をつれていました。

うち1匹はすぐに死んじゃったのですが、
残り2匹は驚くほど長生きし、
最後の1匹は去年まで生きていました。

それから、このとき父が乗っていった私の自転車は
大学1年の5月の連休に自宅ガレージから盗まれました。
盗った人、早く返しなさい。



話を震災に戻すと、
かろうじて電気は来ていたのですが、
ガスはすぐ止まり、ガス管が割れたためか、
住宅地にガスの臭いが満ちていました。

もちろん、商店も営業出来るような状態ではなく、
その日の晩ご飯に、
家にあったペンネをカセットコンロで茹で、
それに缶詰のミートソースを掛けて食べたのを
覚えています。


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今はもう、どんな味だったかは思い出せませんが、
とにかく、すさまじく美味しくなかったこと
だけは鮮明に覚えています。
傷んでいたとかじゃないんだけど、
とにかく味気なく、
先行き不安な気持ちが味に投影されたような感じがして
暗い気持ちになってしまいました。

この「不味いペンネとミートソース」は
震災で辛かった記憶の象徴になっています。


地震発生後、しばらくは水道が通じていたので、
風呂やバケツに水を溜めて使っていたのですが、
その後、すぐに断水してしまいました。



生活には水が必要でした。



近所はガソリンスタンドも営業していない状態でしたが、
車はまだ動けたので、
大きなポリバケツを持って公園まで行き、
そこで水を汲んでは帰る、という作業を延々繰り返しました。
比較的低いところではまだ水が出ていたという記憶です。


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同じように、たくさんの人が
寒風吹きすさぶ中、鍋やバケツをもって並んでおり、
その行列は夜中まで続いていました。

つらかったのは風呂に入れないこと。
水は汲んでくることができても、
ガスが来ていないので沸かせないのです。

そんな中、比較的被害の少なかった
須磨区の祖母の家で
お風呂に入れてもらうことができました。
須磨区でも断水は続いていたのですが、
受験を控える孫のために
何度も何度も公園と家を往復して
お風呂に水を溜めてくれたというのです。
ありがたいことですね。



私、恥ずかしながら
学校にはバスで通っていたのですが、
震災後、バス停で待っていても
全然バスが来ないということが
何度もありました。

あるときなど、1時間半待っても来ないので、
仕方なく学校に行くのを諦めました。

今書いてて、
当時スマホがあったら良かったのにと思いましたが、
携帯電話自体がまだない時代だったのです。
(ポケベルもまだ持っているのは一部の同級生だけでした。)

そんな時代だったのです。


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2月だったか3月だったか忘れましたが、
とにかく高校の卒業式がありました。
おそらく何かの手違いで、
第二ボタンは上着に残ったままでしたが
とにかく震災とともに私の高校生活は
終わりを告げたのです。


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その後一年間、
三宮の大学受験予備校に通っていたのですが、
ものすごい勢いでどんどん復興していく街の様子をみて
変な焦り
何かが始まるんじゃないかという妙な期待感を感じる毎日でした。

あと、当時は
「建物解体の際に出るアスベストを吸い込むので、
10~20年後には神戸市民の肺がんが激増する」

などというようなことがまことしやかに言われており、
まだまだものを知らなかった私は
マスクを常備しておりました(つけてなかったですが)。
幸い、私も家族もまだ肺がんにはなっていないようです。


浪人した1年に意味があったのかなかったのか、
とにかく1年遅れで私は大学に潜り込むことができました。



よく「震災を忘れない」ということが言われますが、
あれは当時神戸以外の場所にいた人に
向けられたメッセージなんだと気付かされることはよくあります。


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実際に、震災を体験した人は、
普段思い出すことはそんなに無くても
あの未曾有の大災害の記憶は
忘れようと思っても忘れられないからです。

破産の申立書を見ていると、
事業破綻に至った経緯の説明の中で
「平成7年の阪神淡路大震災」というフレーズが
今でもよく出てきます。
震災が地場産業に大きな打撃を与え、
それが20年たった今でも
尾を引いているということなのでしょう。

またこの震災で、当時兵庫県の弁護士が抱えていた
顧問先の多くが大阪の事務所に鞍替えしてしまった
ということも当時を知る先輩弁護士から
よく聞かされた話です。

阪神淡路大震災は、
人々が自分の価値観と向き合い、
試された大きな出来事だったように思うのですね。











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ひさしぶりなので、
ブログの更新の仕方を
すっかり忘れてしまいました。


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プロフィール

弁護士中村真

Author:弁護士中村真
神戸の弁護士・中村真(なかむら・まこと)のBLOGです。
かつては複雑な法律問題などをわかりやすい絵で親切に解説しているつもりでしたが、最近はそうでもないです。自宅マンションに鳩が来るのが悩みです。

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