【起案術】起案とはどういうもの?

引き続き、起案の際の心構えについて。
(最初に断っておきますが、以下はあくまで弁護士中村真の持論(ないし自論)です。)

起案をどのような書面と捉えるかという点は、
その出来・不出来に少なからず影響するように思います。


私が修習時代から何人かの実務家に言われたことは
「起案はJへのラブレター」だということです。

J、つまり裁判官に対して自分の想いを伝えるために書くもの
それが起案だというのです。

kian02.jpg

もっとも恋文にも良いものとそうでないものがあるわけで、
ここで目指さないといけないのはもちろん良いラブレターです。
では、それはどういったものか?

取り方は色々あると思いますが、自分としては次のように思っています。

1.自分の思いの丈をストレートにかつわかりやすく伝えるものであること
ラブレターと同じで、
起案は意中の相手(裁判官)に
自分の思っていることや考えていること(主張)を
適切に理解してもらえるものでなければいけません。
そのため、起案は出来る限り
読みやすく理解しやすいものでなければなりません。
なので、回りくどい言い方は極力避ける必要があります。
(※この「読みやすく理解しやすい」という点については
また回を改めて書こうと思っています。)

それ以上に大切なのは余計なことを書かないこと。
余事記載は、無駄に書面が長くなり読みやすさを損なうだけでなく、
争点を正しく理解していないという誤解を読み手に与え、
悪くすると「弁護士としてのセンスの無さ」を印象づける結果にもなりかねません。
(後にも書きますが、書面が与える起案者の「印象」というものは
弁護士業務上、かなり重要だと思っています。)

起案は小説やエッセイではありません。
伝えたい内容に直で切り込む勢いが必要です。

2.書面だけで一応本意が伝わるものであること
人がなぜラブレターなどというものを書くのかというと、
これは面と向かって口で想いを伝えることが出来ないからです。
これを起案についてみると、
民訴法上、訴えもその変更も、口頭弁論も
すべて書面でしろということになっております(書面主義、民訴法133条、同143条、同161条)。
なので、「原則、書面だけで伝えないといけない」という点は
ラブレターも起案もものすごく似通っています(全然強引ではありません。)。

で、形式上、「書面でせよ」となっている以上、
書面だけで一応意味が通る内容にしておく必要があるわけですね。
また、なぜ民訴法が「書面で」と定めているかというと
主張内容を明確化させるためです。

そういう意味では、
「読んだけどそれだけではいまいち意味がわかんねぇや(´・ω・`)」
という書面は、起案としては失格ではないかと思います。

ときどき弁論期日なんかで裁判官から
「ここの主張はどういう趣旨で書いてるの?主張としての位置づけは?」と
釈明が求められているところを見たりします。
そんなとき、質問された代理人が
(わかってねぇなぁ…と言わんばかりに)
「そこは原告の訴状○○頁の主張に対する抗弁で、
こちらは事情として書いています(`・ω・´)」
と滔々と説明していることがありますが、
それならなんのための書面かと感じてしまうわけです。
(期日でのそのようなお粗末な説明を調書に取らされる
書記官にとってはいい迷惑だと思います。)

もともと、司法試験受験時代から
「論文答案は試験官へのラブレター」だと言われていました。
「試験官に対しては、口頭で答案の内容を補足できないんだから、
答案だけできちんと意味がわかってもらえるような書き方をせよ」という意味ですが、
このことは民弁起案にもそのまま当てはまるような気がします。

起案は詩や短歌ではなく、ましてや謎かけでもありません。
読んだ人に「これはどういう意味で書いているんだろう?」と
頭をひねらせてはいけないのです。

3.自分の良さを十分にアピール出来る内容であること
ここでいう「自分の良さ」というのは
起案では「自分側の主張の合理性」という意味になります。

民弁起案というものは
一方当事者の代理人である弁護士が書くものなので、
自分の依頼者の主張を説得的かつ強力に
アピールできる内容である必要があります。
(わかりやすく言うとコンペでのプレゼンのようなものです。)

そういう意味では、民弁起案というものには
純粋な中立性というものは全く求められていません。
もちろん主張内容が全て妄想だというのでは
書面を出す意味がないので(そんな人が弁護士やってる意味もありません。)、
主張の客観性(=客観的裏付けがあること)は必要ですけれど…。

読んでいてイマイチだなぁと感じる起案の類型として
「必要以上に中立的な立場から書かれた起案」というものがあります。
極端な例を挙げると、
思考の出発点を証拠に置き、
「確かに、被告のいうことも一理ある。
こちら(原告)の説明内容には一見不自然な点もある。
しかし、これらの証拠に照らせば、原告の主張が正しいと言わざるを得ない」

という類のものです。

「A(自分側)とB(相手方)とを離れた地点から見比べると
Aは合理的。一方、Bは間違っている」という論の運びは
一見、客観性を保っているように見えますが、
起案上でこれをやってしまうと、
(実質的には同じような内容を書いていたとしても)
主張自体の説得力は大きく削がれてしまうように感じます。
(私の後期修習でも民弁教官が「最も駄目な起案」として
この「当事者性の薄い起案」を挙げていました。)

やはり「Aが正しい」ということを
一方当事者としての立場から声を大にして伝え、
正々堂々とBの矛盾点を突くのが正しいのではないかと思います。

事件の相談を受ける段階では、
「どのような証拠があるか」、「相談者の主張は客観的証拠と矛盾しないか」
という視点は極めて重要ですが、
起案の際にはこのスタンスは当てはまりません。

繰り返しになりますが、代理人は一方当事者の味方であり、
最終的に主張の当否を判断しうる立場にはありません。
上記のような「中立起案」
民事訴訟の構造(Jが判断権者)を捉え間違っているように感じますし、
なにより「一方当事者の味方(但し有料)」という
弁護士の重要な役割を放擲したものではないかとさえ思うのです。
「お前、一体どっちの味方やねん」という。

起案は評論でも解説文でも報告書でもありません。
「読み手に選んでもらう」という態度ではなく、
「読み手に自分の選択肢を選ばせる」という態度が重要です。

4.読み手に良い印象を与える内容であること
今までの1~3に重複する部分もありますが、
実はここが一番重要だと思っています。
起案から受ける印象というものは
起案者である弁護士自身に対する裁判所の評価にも
大きく影響することになります。
(多数の事件を抱える裁判所の弁護士に対する評価は、
「書面がきっちりしているか否か」で結構シビアに分かれるようです。)

当然のことながら、
不親切説得力が無く独りよがり居丈高誤字も多い書面ばかり書いている弁護士は
シャープ・スマートでないという印象を持たれてしまう危険性が高く、
逆に簡潔・明瞭で読み手に好感を与える書面が得意な弁護士は、
弁護士としての全体的な力量にも信頼を寄せてもらえるようになります。

そして、重要なのは、
この起案から生まれる「印象」というものが、
その事件のみならず、弁護士業務全体にさまざまな影響を及ぼすという点です。
(この辺は、突き詰めると多少生臭い話にはなりますが。)

そして、「起案はラブレター」という言葉は、
「読み手にいい印象を持ってもらう」という点にこそ、
真の含蓄があるのではないかと思うのです。


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絵が面白いですね

初めて拝見しました。
とても面白かったので、最初から一気読みしました。
ここらで中断して、また明日から読みたいと思います。
末長く続けて頂ければ幸いです。
今後も楽しみにしております。

Re: 絵が面白いですね

うれしいコメントありがとうございます(^o^)
これからもちょくちょく見てもらえると
ありがたいです(^^)/

突然失礼いたします

『準備書面』で検索して辿りつきました。
辿りつく以前から、中村先生のブログは“面白くて”ときどき拝見しておりましたがw

名前の通り、私は申立人をしておりまして、
つい先日、代理人の弁護士さんから裁判所へ提出した書類一式が送られて来たのですが、
中村先生の起案術の記事をまとめて拝見し、
「今の先生(私の代理人)にお願いして良かったなぁ」と申立書の内容を見てあらためて思いました。
これで心証悪くされたら、そっちの方がおかしいとまで思ってますw

中村先生の文章は私のような一般人にも読みやすく、
絵もお上手で笑わせてもらえるので、今後も楽しみにしております。


ではでは




プロフィール

弁護士中村真

Author:弁護士中村真
神戸の弁護士・中村真(なかむら・まこと)のBLOGです。
かつては複雑な法律問題などをわかりやすい絵で親切に解説しているつもりでしたが、最近はそうでもないです。自宅マンションに鳩が来るのが悩みです。

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